下の写真は「少林寺易筋経洗髄功」の九鬼抜刀式の動きです。
中国嵩山少林寺においても中国国内に広く普及するようにつたえられている内功心法の一部です。
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脚趾で大地をギューと噛んで、しっかりと根が生えているようにする。
捻りはぎりぎりまで捻り極め、次は緩める。
筋骨を捻ることで、脳と脊椎の気がよく通るようになります。
ここでは根がはえているように大地をギューと噛むようにしないと、安定感も違い、大地の地気の体内ヘ通るエネルギー感覚に大きなちがいがでます。
片手を天空に向けて伸ばす時に地気も体気も体を通り上がって行きます。
そして天空のエネルギーと合流しさらに天空のエネルギーを吸い込み体の隅々まで浸透するような、それと体が一体化したような感覚です。
天空、宇宙のエネルギーと地球のエネルギーに人として存在する自分が気を通して合一化したような、「天人地合一」の感覚を得られたのならば、この感覚を維持しつつ、さらに捻ることにより、脳と脊椎が体中線で、より強い気感がえられ、気がさらに通るように感じます。
練功をつむことにより体内エネルギーともいえる各細胞の活性エネルギーが脊髄、骨髄、筋、肉、神経にまで行きわたるような感覚も得られてきます。
練功がさらに進むと心も体もこの大地、自然、天空と溶け込んだ感覚がえられたりもします。
すると自分の形すら溶けてなくなったような感覚を体験する人もいます。
これも意念や心法の説明がなければ、普通のストレッチ止まりでしょう。
もちろんそれでも一定の筋骨の柔軟と増強の効果は得られます。
「易筋経」の九鬼抜刀式も流派によっては、型や動きが多少違ったりします。
意念の要求も違ったりします。
或流派は脊椎を刀の鞘(さや)として、髄を刀として、九天の途中で待ち構える魑魅魍魎(ちみみもうりょう)を払う勇猛な姿勢と解釈します。
或いは、九鬼が馬刀を抜こうとする姿勢としています。
或いは式の名の意味はほとんどイメージしません。
このようなことで流派に惑わされる人も多いことでしょう。
そんな時、どうすれば良いのでしょうか?
色々な型を練習することは大切ですが、多くの流派を見たとき、そこに共通するエッセンスを確認できるようになります。
その目的によって使い方がちがってくるわけです。
さらに実際の修練をつみ練功が進めば、「頂上に登るのにいろんな道があり、一つの道を歩むときは裏の景色は見えないが、頂上にたどり着き、そこから眺める景色はぐるっと一望できるように、そして、そこは下より上にある高い所だ。」と言うように下にいる時は気が付かない事も上に昇ることでより多くのものを見る事ができたりします。
全体を眺めることができるようになります。
又、「一本の大木の幹から多くの枝葉が生えている事実がある。」ように、物の進化には一粒の種が成長し 一本の元からやがて枝に別れ、時間とともに枝葉が多く広がっていきます。
流派とはそのようなものだと気が付くでしょう。
どの流派を選んでもかまいません。
まずは、その流派を信じて練習をつむことです。
山の頂上に登りついた時の背景を見る目や一部でも全体とのかかわりを見る目でものを見たとき「天人地合一」の自然界と一体化した何たるかを理解でき、流派にとらわれない境地に行き着くことができるでしょう。
さらに、それぞれの流派や方法も認めることの出来る偏見のない目と本物を見抜く目もできてくるでしょう。
気功をやることでいろいろな発見がえられるものだと思っています。
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