東洋医学や気功法を学ぶことから、
自分の経験を通して気がついたことを伝えてゆきたいと思います。
病気とは何だろう?末期癌から生還したある人の言葉から学ぶ。
古い話であり、細部の言葉の表現は正確ではないかも知れませんが、大変心に残るお話でした。
それは、NHKの末期癌から生還してきた方へのインタビューをしている番組でした。
その方は女性の詩人とのことですが、癌に侵され骨に転移も進み、余命数ヶ月と宣告されていたそうです。
最初はその方も何故自分が癌になったのか?その事がショックであり、そうとうに悩み苦しんだ日があったようでした。
しかし、そんなある日、癌を敵視するのではなく、逆に本来は自分の正常細胞が変化したものなのだから自分自身の一部として認め、これも自分の定めとするならば、それを素直に受け入れてみよう と思ったそうです。
そして、それまで、強く抱いていた「何としても生きたい」とか、「何故自分が癌に?何故自分がこんなに不幸になるのか?」とかいう思いを一切すてた状態にしてみたというのです。
「人は皆、いつか死んでいくもの、これが自分の定めならば受け入れよう。
自然にまかせ自分がどうだの、他人があーだの、もう考えずにそのままを自然に受け入れて残りを生きよう」と。
ある意味で自分を捨てた状態といえるのでしょうか?「無我」状態というのでしょうか?
嫌なことは考えずに楽しいことや好きなことポジティブなそんな気持を維持していた そうです。
すると、不思議なことに、今までこだわっていた事からくる苦痛がなくなった というのです。物事を対比して考えて苦しんでいた自分がなくなったというのか?又は一切の執着が消えた状態というものかは解らないですが?そんな時、実際の痛みも苦しみも楽になり始めたというのです。そして、驚いたことに、やがて骨転移していた癌も一切が消えてしまい正常になったという実話でした。
現代医学でも一切のストレスがなくなった状態は免疫力が最高に高められることや、精神的な要素のストレスを除かれることは肉体を健康に保つことや自然治癒力も増すことはわかっています 。それを考えれば、ありえる話だと思いました。
最近の映画で末期癌から生還した奇跡の実話として話題になった「天国の青い蝶」や新聞のコラムでホスピス医療で治療をしている医師の投稿であったが、患者が癌を自分自身の一部として受け入れる意識から癌が縮小し始めたという患者の話を思い出します。
良い考えをもち、心身を良い環境におくこと等が、敵視するストレスや苦悩や不安から開放されている状態が多くなり、実際のストレスより上まわることになっているのかもしれません。
この女性の方は苦悩したあとに見つけ、たどり着いた自分への答えが、「健康はありがたいかな、病もまたありがたいかな」 という言葉だと言いました。
健康は確かにありがたいものです、だれしも、病などないに越したことがないと思います。
しかし、翌々考えて見ると、いろいろな事をあらためて自分に問いただしたり、病を持つことでこそ発見できるような新しい価値観や視点をみつけることができたりします。
光があっても、暗闇や影がなければその明るさへの価値がわからないのに似ているのでしょうか?
私はこの言葉を聞くまでは、[病気」にたいしては、悪いもので、存在しないほうが良いと思っていましたが、それは一方向からみた視点でしかすぎないと言う事に気がつきました。
陰と陽が存在しています。共に相対しながら刺激しあっています。そして、その特徴の渦の中で私達は何かを学び取っているのでしょうか?
漢方医学(東洋哲学)では、すでに答えがあったことにも気が付きました。
すなわち、男と女、光と影、善と悪、健康と病気、上と下、左と右、というように陰陽の存在は否定できず、ともに相互に相対したり、依存しあっていることや相互にバランス関係をもって動いているという考え方でした。
そうか、片方だけをみとめて片方を否定することは一方向からの見方だったのか?
偏見であって、真実は陰陽相互の存在の事実を知ること、しっかりと見定めてから真実を知る事だと思ったのです。
東洋医学からも私達が日頃気が付かない生命にたいするもう一つの考え方に触れることが出来たような気がしました。
自分という存在があれば私達はだれしも自我が存在します。
自分という存在があることで即、対比較を始めています。
他との関わりの中での自分として行動しています。
なかなかその人が経験したような無我に行き着くことが出来ません。
しかし、ここに何かのメッセージがかくされていたとするならば、これを良く理解できた方は幸運かもしれません。
病気からも色々な事を学ぶことが出来るのです。
病気から自分自身を見つめるだけでなく、大きな意味での存在理由をしることができるものなのかもしれません。
一見は否定的な出来事でも、もう一つの視点を持つことを覚えて、より幅広く物事をみきわめていきたいものだと思います。
太極的にものを見たとき何かがわかるでしょうか?
一見は嫌なことに思えてもそこに潜む大切な事があったりします。
嫌な事はどんなことを言っても嫌な事です、辛いは辛いに変わりはないのですが。
ただのそれだけに終わらせないためにも、もう一つの視点は学びたいものだと思いました。
「健康はありがたいかな、病もまたありがたいかな」
この意味を知って、病気に対するもう一つの視点を理解して、元気をだそう。
勇気をもらおう。
そして、真の健康とは何か?を掴みたいものです。
合掌
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